魚運

今日は魚運がいい。
居合の帰りに足を延ばして韓国食品店まで買い物に行った。
見るからに脂の乗った大きな鮭の一切れ、
鰆一尾、
鯖二尾。
丸ごとの魚はさばいてもらわないで家で処理する。
一度忙しかったときに店でやってもらったら、
なんだかあんまり綺麗じゃなかった上に、身がありえない小ささになっていた。
魚屋の裏で処理をやっているのはスペイン語を話すおじさんたちだが、
もともと魚屋じゃないのか、それとも母国ではあまりやらないさばき方なのか。
私だってそんなに魚さばくの上手かないが、とにかくもうちょっとましなので
やっぱり忙しくても自分ですることに決めたのです。

鰆の美しい切り口にみとれる。
魚がすきなのと刃物がすきなのが相まって
妙な興奮状態に。

鮭が大当たりだった。
一食分ずつ包んで冷凍しようと切りはじめたのだが、
余りのつやに我慢できず一切れ分は生で食っちゃった。
醤油もつけず、まな板の上で他の作業をしつつさくさく切って、一口ずつ。
うっとり。

ほかに冷凍のイカなどを含め、買い物袋は殆どシーフードだった。
ベジタリアンがあるなら、シーフードだけを食べる人っていうのも
ありじゃないか、と、役にも立たないことを考える。
野菜は海草でまかなう。
ここまで考えて気がついた。
穀物がないな。
海では炭水化物はできないのかしら。

ご飯も麺も大好きなので、ひとまずシーフードだけを食べる人には
なれそうもありません。
今のところ。

吸い取る男から学ぶこと

エネルギー吸い取り男は執念深く忍耐強く私の「友情」を取り戻そうとしている。
そもそも男が存在していると妄想するほどの「友情」はない、
「友情」が育つに必要な時間も交流もしていない、ということはひとまず置いといて。
(それから男が非現実的な「愛情」を持ち出したことで友情の芽もびびって引っ込んだ、
ということも。)

「前のメールで俺が言ったことは本気じゃないんだ。」

男はわかっていない。
私は男の言葉で傷ついたりしない。
ひどいことを言われたからもうメールしないわ、と返信していないのではない、
その前に「これが最後のメールだ」というメールを出した、
その発言を実行しているだけだ。
私はその誤解を解く努力をするつもりももうない。
「ねじまき鳥」のオカダトオルが言ったところの、「説明のための説明」なんか
したくはないのだ。
本質を伝えようとして伝わらなかった人には、
多分本質は永遠に伝わりはしないのだ。
説明しようとすればするほど、それは本質から離れていく。

要点は、この関係では私はエネルギーを吸い取られるだけだから
終止符をうつ、ということだ。
他の何もかもが本質ではない。
男は本質ではないことを沢山机の上に並べ立てて、
そのうちの何かが私に考え直させることを期待している。
その行為自体が「吸い取り」であり、それによって私をより遠ざけていることには気づかない。



この一連の吸い取り男事件(?)以来、
私の、周囲の人間関係のあり方についての視点と精度はすこし変化している。

今の私の生活には、仕事と武道に割いた後の余りの時間は少ない。
その配分を決定するのに、エネルギーの循環を基準にするというのは
結構いいんじゃないだろうか。
エネルギーを与え合える人と、その循環が保てる距離と頻度でつきあう。
そうして自分の方も、吸い取っちゃっていると感じたらひとまず距離を置く。
じゃないとお互い時間がもったいない。

1月25日の覚書

今日土曜日は剣道なしだったので、
犬の散歩ついでにすこし走った。
子どものときから走るのは遅いし、好きじゃない。
「遅い」の方は相変わらずだが、しかし、「好きじゃない」の方は克服しつつある
たまたま犬を連れているが、走っているのはあくまで自分の剣道のためだ。
体が軽いとまでは言わないが、何だか腿の付け根にバネが入っているような具合になって、走ることが当たり前になってきた。
楽しい。

走りはしたが、カロリーは後で過剰に摂取してしまったので減量にはなっていない。
今日は関連道場の中国人先生宅で太陰暦での新年会だったのです。
いつまでもポーカーをやっている中に、明日の午前中居合の稽古のもの6名。
皆さん明日大丈夫なんですか。
終わる様子がないので夜中ちょっとすぎに引き上げた。

ポーカーをやっている間中(ちゃんとカジノのチップを使っていたのだ)、
「偶然の音楽」の情景がしきりと頭に浮かんでいた。
石を積む羽目にはならなかったようだ。
(まあ読んでください。)

こういうときにでも着ないと機会がないので、着物を着ていった。
ドレスアップのパーティーではないので、去年買った訪問着ではなく、地味なほうの江戸小紋で。
もうほんとにね、定期的に練習せんといかんですね。着物。
長着のほうはさっさと行ったけれども、単なるお太鼓にてこずって、やり直したりしていたら支度に(コンタクトとか化粧とかをあわせてだけれども)1時間もかかってしまったがな。
着付け教室に行っていたときは15分で全部上がったのに。

着物もいいけれど、明日はいつもの袴だ。
袴はもっと好き。
これこそ私の衣服だと思う。
今剣道の方で使っている厚めの木綿の正藍染を足でさばく感触がとても好き。

もう2時近くだ。明日も早めなのでもう寝ます。
おやすみなさい。

1月20日の覚書

剣道やって居合やって帰って来るとやっぱり12時半なのよねえ。



ようやく剣道の道場での居合の稽古が軌道に乗ってきた感じだ。
剣道の後毎回やるようになったのは今年に入ってからだから、まだほんの2週ばかり。
日曜日に居合の先生に「ずいぶん練習したのね」と言われて冷や汗だ、と書いたが、
今日鏡を見ながらやっていたら、なるほど我ながら大分印象が違う。
キレが格段に良くなった。
居合自体はそれほど稽古できていないのだから、剣道の成果としか思えない。
かたちができないことにはどうしようもないが、
かたちだけではだめなのだ、居合は。
「本当に斬っているかどうか」が、剣道の稽古を通して変わってきたのだと思う。

剣居一体。

前の居合の道場の先輩で、剣道と居合両方やるのは無理があるといい続けた人がいる。
私はむしろ両方やるのが筋だと思ったからこの道を来た。
来て良かった。
この次その先輩と居合を一緒にやる機会には、「おや」と思わせることができるかもしれない。



稽古を終えるとそれからまだだらだら残って剣道だの居合だの仕事だの、
その他下らないことだのの話をしていつまでも笑っている。
そうして道場を出るのが11時半とかになってしまうのだ。
でもこれがあるから、ああ今日も楽しかった、と一日を終えられて、
明日も頑張れる。

こういうのが例えば、エネルギーを与え合えている場だ。

1月18日の覚書

剣道もやったのですが、今日は居合のカテゴリーに入れてみました。
ちゃんと先生のいるところで居合をやったのがちょっと久しぶりだったので。

「ずいぶん練習していたのね、印象が大分変わったわよ」と言われて冷や汗だ。
いやあの、練習していたのは剣道でして。
直すところはまだまだ沢山。
大体制定の刀礼が怪しい。
刀礼で落ちたらしゃれにならん。

剣道やって、居合やって、それからC君とミツワへ行った。
いや良くしゃべった。
あらゆることについて。
片道2時間ですからな、しゃべる時間もありますわ。

剣道の雑誌が1種類だけあった。
よさそうな記事満載で、しかも居合の山崎先生の特集まであって、
本屋で喜び合う私たち、
およびフードコートで日本のテレビの武将ブーム特集を見て
興奮する私たちは、
ま、ちょっとばかりうるさくて変だったかもしれない。

でも剣道も居合もできた上に遊べて、私には充実したいい一日でした。


エネルギーのやりとり

恋愛関係でも友達関係でも親子関係でもいいけど、
あるべき関係の形というのは、エネルギーを与え合う形だと思う。
どちらかがエネルギーを吸い取られるようになったら、
行動を変えないと関係は続かない。
もう離れてしまった方がいい場合も少なくない。
もしかしたらその方が多いくらいかもしれない。

ごく最近、色々無理が生じてもうきっぱり断ち切るほかなくなった人があった。
何もかもが無理な状況設定なうえに相手がさらに無理なことを望むようになってきて、
もうこうなると断ち切るのが最終的には相手にとっても親切、
という状態になってしまったのだった。
ああいう状態の人というのは見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞くものだ。
何らかの交流があるかぎり私は知らぬ間に「偽の希望」を彼の中に育てる羽目になる。
それは誰の益にもならない。

最後の方で私は、
それまで自分の感じていたネガティブな何かが
「吸い取られている感じ」だったのを、
初めてはっきりとみた。

彼のほうにはそんなつもりは毛頭ない、多分。
けれど頻繁に、しかも読みきれないほど長いメールがくれば来るほど私は
消耗した。
しまいにはメールのタイトルをみただけで魂のなにがしかが吸い取られた。

やっと一応のけりをつけた日に(実は終わってなかったのだがそれは置いといて)
剣道に行ったら、そこの人たちとのさっぱりした交流の、
奪い合うのでなく与え合う力の流れが心底嬉しかった。

人間の間のエネルギーのやりとりというのは不思議なもので、
あげればあげるほどどちらも増す、ということが起こるのだ。
それがおそらく本来の形なのだ。

ある関係について迷うことがあったら、
関係性の名称やら将来その関係がどうなっていくのかに悩むよりも、
エネルギーを高めあっているかどうかを確認したほうが
いいんじゃないのかな、と思った。
友達か恋人か、とかなんて、それに比べたら大した問題では、ない。



護ってくれるもの

夕べ玄関のベルを押す人があった。
配達の来る時間帯では、もう、ない。
あいにく電球が切れていて、脇からのぞいても真っ暗で見えない。
誰だかわからんものには出られん。
で、ほったらかしていたらドアノブをガタガタ回している。
すこしおかしくないか。
鍵が掛かっているから開きはしないが、
勝手にあけていいというものではないだろう。

気持ち悪いので、夕べは家の中を木刀を持って歩いていた。
木刀の柄は手に馴染んで、その手ごろな重さも安心感を与えてくれる。
暖かい気持ちになった。

伴侶のいる女性だったら安心感を与えてくれるものはその人なんだろう。
でも私はこういうとき男の人がいたら、とは思わない。
木刀と、少々の剣の心得が本心嬉しい。

居合刀にしなかったのは、愛刀が傷むとイヤだからです。
本身を買おうかな。護身用に。

こころの薬

天候やらホルモン周期やらちょっとした人間関係の憂鬱やらで
すこしばかりへこんでいた

…のだが、
犬を散歩に連れて行って走ったらすっかり機嫌が直りました。
判りやすいなあ、私って。
運動やってればいいのか。

最後の2行で女性の反感を買いそうな気もするが。

明日からしばらくまた忙しくなるので、すぐ食べられるものを仕入れてきた。
インスタント食品の多用は良くないと思いつつも、
帰ってきてちょっと腹ごしらえしてすぐまた出かける、という日程が
続くときはどうしてもねえ。
せめて手作りのスープでもできるようにクロックポットを買ってくるか。

忙しいのは殆ど全部武道の用事のためである。
しばらく週日の剣道を週3に増やしてみようと思う。
うちの道場では2度なのだが、先生がある大学の剣道クラブの指導を
週1ですることになったので、そこにも行こうと思えばいけるのである。
初心者ばかりだけれどもね。かなり遠いし。
その上今までどおり、週末に先生が出稽古に行くときはくっついていくので
場合によっては週5回ということもあるかもしれない。

そんなこんなで、ただでさえいい加減な食事と家事がもっといい加減に
なりそうな気配ぷんぷん。

奥さん欲しい。

と、思いました。

公式初稽古

今年に入って2度目の稽古だったが、実は正式な初稽古は今日だということで、
噂に聞いていた初稽古恒例素振り地獄をやりましたです。
準備運動から全部あわせると900くらい、連続では最長450。
連続の素振り(うちではこれを「早素振り」と呼んでいるが、そんなに早くない。)
では、150を過ぎた頃から初心者が、200を過ぎてからぽつぽつと
他のメンバーも脱落していき、隣でだんだんテンポが合わなくなっていた居合の先輩Dも
落ち、あっちでC君も落ち、最後先生が「やめ!」をかけたときには
主に高段者が5-6人残っていただけでした。
俺は残ったぞ。もう体が勝手に動いていた感じだ。
そしてもうちょっといけた、と思った。
いつの間にか体力ついたなあ。
幸先のいい年明けだ。

稽古も良かった。B先輩に竹刀を上げるタイミングなどを直してもらい、
そのあと先生と稽古したときにそれを心がけたら
すごく褒められた。
実は今習ったばかりで、とはいわなかった。
次回元に戻ってしまわないようにしっかり覚えておかなければ。



武道袋完成!

いやはや、のべ4日くらいフルタイムでお針子やっちゃったよ。
わたし、針仕事はあんまり楽しくない。
どちらかというと辛い。
そして目の前のものを黙々と消化していくよりほかない。
稽古よりもよっぽど「修行」っぽい。

うんざりはしたが、出来上がったものは結構満足だ。
携帯のカメラでは全体像が入らないが、
肩ストラップがついている。
中身を全部入れて掛けてみたらいい具合だ。
これでNYCを歩くのもずいぶんラクになるとみた。

swordbag3.jpg

左から居合刀、木刀(大)、木刀(小)、その下に鍔などの小物入れ、右に竹刀二本。
居合刀の入る側の端には綿の入ったフラップが横についていて、
収納時はそちら側から居合刀を包み込む格好でくるくると巻きます。

swordbag2.jpg

上部アップ。右の竹刀の上のフラップが巻き終えたところにふたとしてかぶるようになっており、

swordbag1.jpg

このように結んでとめます。結びひもは袋の下部にもう一つあり。
左に流れているのは肩掛けひも。

火曜日道場でみせびらかそうっと。
うひょひょ。

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剣祐

Author:剣祐
剣の修行中。

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