線香の香りと仏教の入り口?

夏時間、外は8時ころまで明るい。
網戸にして、庭に出たり中に入って片手で家事をしたりしながら本を読む。
杉の線香を点けたら、夏の空気の匂いと果物の匂いとあいまって田舎を思い出した。
いつもお盆に訪れていた田舎では、線香の匂いと桃やぶどうの匂いがいつも混ざっていた。
もう十年以上訪れてない。ちょっと恋しい。

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今手にしているのは吉川英治の「親鸞」。
ここ数年集中して読んでいるTudor王朝の物語とだぶって、
宗教の歴史は近親憎悪の歴史だとつくづく思う。
仏教と仏教。
キリスト教とキリスト教。
なぜ血を流し合わなければならないのか。

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私は仏教のしみこんだ土地で今のところの人生の半分以上を過ごしたけれど、
仏教徒ではなく、かといって仏教徒でないともいえない。
キリスト教を憎むものでもないが、
あらゆる宗教のうちの、人に何かを押し付ける姿勢を嫌うものである。
(土地柄キリスト教に押し付けられる機会が多いのでキリスト教へのうんざり度は高いわけだ。)
来るものは拒まず去るものは追わずではなぜいけないのかが判らない。

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最近仏教の本を読み出しているのは、
剣を学ぶうちにその仏教とのつながりが見え始めたからだ。
そのうちに仏教に帰っていくのかもしれない。
多分、だとしても宗教としてのでなく、哲学としての。

筋がいい

今日は籠手と面を裏庭で陰干ししてみている。
だって汗臭いんだもん。
リスにいたずらされそうで多少不安なんだけどもさ。

こないだPと話していたら、「みんな防具が臭い臭いっていうけど、俺のはにおわないんだよ。」
と言う。
おめーのが一番カビ臭いんだよ。
という言葉はかろうじて飲み込んだ。
彼は多分鼻が悪いのであろう。剣道家にとって幸せなことかもしれない。

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この間から目に留まっている新人がいる。
道場に来始めて3ヶ月ほどだろうか。
まだ垂と胴を慣らしにつけ始めたところで、面はつけていない。
切り返しと、基本稽古の一部だけ防具組に混ざり始めたところだ。

はじめ目に留まったのは、刃筋が常にまっすぐで決してぶれない、ということだった。
稽古の相手をするとよくわかる。

昨日地稽古の順番待ちの間に、初心者が向こうで剣道マンを使って打ち込みをしているのをみていたら、この人の足もとても安定していることがわかった。背中もまっすぐに伸びている。本人は真剣なまなざしで竹刀の振りを直しているが、そうしている間にも足が崩れていないのである。

こういう人を「筋がいい」というのだろう。

この新人の安定性に特に今関心したのは、つい先日家で自分の足捌きのまずさに気づいたところだったからでもある。
家で早素振りをしているとき、ガラスに映った自分の足捌きが、特に疲れてきたあとの後退のステップで斜めにずれている。自分ではまっすぐやっているつもりなのである。
自分の体の動きが脳みそに正しく認識されていない。

昨日は基礎で足捌きをだいぶやった。親子メンバーの父親が息子である青年に「足をまっすぐにしろよ」と何度も注意していた。面白いことには、この父親自身の右足は常に45度開いちゃっているのである。
息子の足がまっすぐでないのは見えるから注意できるが、自分の足も(というかむしろ自分のほうがひどく)間違っているという認識はまるでないのだ。

筋がいいというのには、もともとの運動神経も過去の武道の経験もかかわるだろうが、
もっと大事なのは体と脳みそを意識的に常につなげることじゃないだろうかと思う。
それができていなければ直るものも直らず、いくら時間数稼いでも意味はないのである。

あの新人はすぐに上手くなるだろうな、と思いつつ、
自分の意識を引き締める次第。


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ところで外に干してある防具がしきりとハエにたかられていて悲しいです。
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剣祐

Author:剣祐
剣の修行中。

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