かかり稽古・Unspoken rules

かかり稽古を、今まで先生方としかやったことがなかったのだが、
先日初めて先輩の元太刀でやった。
先生が負傷中のためもあって、先輩がたの元太刀の練習を兼ねてということだったようだ。

で、わかりました。
先生の技術の高さが、改めて。

途切れることなく速いテンポで打ち込みを続けられて、30秒もやると汗だくのへとへとになる、っていうのは、元太刀の先生の助けがあって初めてそうなっていたんだわ。
先輩とのかかり稽古は何だか消化不良に終わってしまった。
あと何分かあのままいけた感じ。

「元太刀がブロックするのは、相手が別の技を繰り出すのを促すためにするんだぞ。
元太刀の側の能力を見せるためにやるんじゃないんだぞ。」

と、途中で先生が先輩方をとめて注意していました。
自分よりも下の人との地稽古も難しいんだよね。
同じレベルの人とは遠慮なくやりあえるけど、下の人とやっていてずっと攻撃すると、
相手が攻撃を警戒する余り無意識に変なブロック動作を身に着けちゃったりするし。

とにかく、「教える」っていうのは、ただ剣道(でも他の何でも)をするっていうのとは別のレベルの難しさがあるわけだよ。



さて、ここはアメリカなわけですが。
アメリカにおける日本の武道の道場というのは事情が少々特殊です。
外では全く違う文化で暮らしている人が、週に何度か「日本文化」の道場にやってくる。
彼らのほとんどが海外で暮らしたことなどなく、つまり異文化に溶け込む経験をしたことがない。
アメリカ人のままやってくるから、ここは道場だと思っていると
「は?」という場面にひっきりなしに出くわす。

たとえば。

新人が何か注意されると、ごちゃごちゃとどうしてそれができていないのかの言い訳をする。
「ハイ」とだけ言って黙って直せ、と思う。
しかしこれと同じ行動は、アメリカの一般社会においては全く正常なわけだ。
言わないものは考えていない、判っていないと思われる。
だから思考回路を通った事柄は大方はっきりと発言する。

裏返すと、日本人がアメリカ社会で失敗するパターンの多くは、原因がここにあると私は思っている。
(アメリカ社会においては)言うべきであることを、言わない。
アメリカ人が道場でする文化的失敗と、
日本人がアメリカ社会でする文化的失敗は、
鏡像の関係にある。

まだ防具をつけていない新人たちに先生が「戻ってくるまでこの素振りをやっていなさい」と言うと、必ずいつの間にか新人の中の先輩格のものが能弁に残りを教えている。
剣道を始めたのが相手より1ヶ月早かったくらいで、教えるほどのものがあると思っているところがすごい。
だいたいそんな暇があったらてめえの腕を磨け。
と思うが、
アメリカではこんな表現もあることを考えると、その背景からきているんだから教えたくなるのも道理かとは思う。
すなわち、"See one, do one, teach one"。
一度見て、一度やって、次は教える。
少なくとも武道はそういうもんじゃないと思うんだが。

うちの道場の中だけで剣道をやっている分にはさして問題にならないにしても、
よそから先生をお招きする場合や、よそのもっときちんと伝統的文化を踏襲している道場や合宿に出かける場合、剣道にふさわしいマナーを身に着けていなければ問題になる。



あるコミュニティによるUnspoken rulesというものを読むのは難しい。
どこのコミュニティでも同じと言うわけではないから余計に難しいわけだが、
かといって教えてもらえるわけでもなかったり。

新しい人が周囲の姿勢から学んでその文化にとけこもうとしないのも怠慢だが、
新しい人に対して「空気を読め」というのも一種のわがままだと思っている。
伝えるべき相手にはっきりと伝えずにいて行動変化を期待するべきではない。
遠まわしの表現は美しく見えるかもしれないが、
別の相手に間違って伝わる危険をはらんでいる。

「先生や先輩に何か言われたら、ハイ、とだけ答えなさい」
「初心者同士で練習中は黙って練習しなさい。判らないことがあったら後で先生に聞きなさい」

それでいいのだ。
あいつら空気が読めてない、と黙って怒っていても誰の益にもならない。

そんなこともあって、今道場の数少ないバイリンガルメンバーの合作で剣道英和絵辞書の企画を進めているのだが、そこには道場におけるマナーについての内容も盛り込むつもりでいる。

伝えないことは、伝わらないのだから。

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剣祐

Author:剣祐
剣の修行中。

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