どこの子?

道場に来てくっちゃべってる若い女どもは、
大体何か準備ができてない。
竹刀がささくれだらけとか、弦が緩んでるとか、面紐が絡まってて面付けになってあわてているとか、
それでそもそも面をつけるのが鈍いので大幅に遅れをとって稽古の列を乱す。

初心者の一回や二回なら許そう。
言って直るならいいので、でもそういうのは大体、言っても言っても直さない。
ひらりひらりと道場にやってきて、ぺらぺらとしゃべり、霞のかかったようなぼんやりした目で説明する先生を見るともなしに眺め、それでその練習になるとやっぱり説明を明らかに聞いていないし、
正直、

お前もう剣道やめろ、
と思う。

ああいう子達は何が楽しくてやってんだろ、ほんとに。

L先生はしかし、そういう子にも寛容だ。
先生のミッションはこの地で剣道を広めることなので、
アジア式のやり方についてこい、ついてこない奴は来なくてよろしい、というやり方はこの道場には馴染まない。
教育は大事だけれど、その人に馴染むやりかたで少しずつやればいい、とおっしゃっている。
で、先生の生徒としてその哲学を実践しようと心がけつつも、時々爆発して大声が出るのが日本育ちのC君と私、と。

すみません、先生。
(先生はできた人なので怒鳴る私達を見ても笑っているが。)

この爆発の波は時々襲ってくるのだが、厳しめの日本式の道場や合宿に行ってそれに慣れて帰ってくるとそのギャップのせいでとくにひどい。
今度の居合の道場が厳しめで、私自身はどうもそれが快適なのだな。私は本来そういうところの子なんだと思う。

厳しさの仮面をかぶった理不尽というのもありがちで、
そういう先生についたり自分がそういうものになったりするのは絶対に避けたいですが。
その区別は、いつもきちんと目を見開いていないと案外つきにくかったりもするんですな。



おまけ。いつもの剣道の道場では私は面付けがいつも1番先か2番目に終わるが、厳しめの道場のほうでは単なる平均的はやさでした。しかもその道場では途中で手ぬぐいを直さねばならなくなっている人なんか全然いない。こういうことも指標なんだよね。

犬占い(違)

犬の散歩。
Hannahの散歩の目的はにおいをかぐことみたいで、それをしながらいつまでも淡々とてくてくと歩く。
一方Tinaは、鳥を見ては駆け出し、リスを見ては駆け出して、すぐに息が上がって木陰の芝生に寝そべる。

先日居合の道場で剣道の稽古にも参加したあとで、先生の一人に言われたこと。
「あなたは居合でも剣道でも、稽古で常に200%の力を出している。だから疲れ果てるのよ。」

私はTina型だなと思った。
ふらふらになってもやめないけどな。

理想の休み

居合の先生に酒の席で「今度は剣道防具ももってきなさい」と言われ、
「今度」ってその翌日だったので、防具引きずって出かけました。
酒の席だったのでもしや覚えておられないということもないこともないかも、と思っていたら、
第一声「防具もってきた?」

はい。

そんなわけで愛すべきスパルタ道場で居合と剣道続けて稽古してきました。
居合は1時間半。
その1時間半は集中と疲労の度合いが昔いた道場の3時間くらいに相当し、終わった時点ですでに腿が筋肉痛。
この道場で剣道の稽古をするのも初めてではないのですが、ずいぶん前のことですっかり忘れていた。
こんなにきつかったっけーっ!??
ぶっ倒れそうになりながら剣道が終わったところで腿の筋肉痛に、なぜか水月あたりの筋肉痛が加わり、
ひー、疲れたーっ!楽しかったーっ!
と、興奮のあまり街を歩きながら剣道の道場仲間に電話して「あんたも来なよ!」と熱く勧誘した。
あ、ええと、あんまり勧誘すると色々問題なんでしたっけね。ふん。

ここに週3回来られたら痩せるわ。
引っ越しちゃおうかなもう。



居合。
どの方向を向いても、すばらしいお手本が目に入ることの贅沢。
いい居合をみるのも大事だが、自分の稽古をするのも大事なので、先輩の滝おとしなんかにうっかり見ほれて手が長いこと止まってしまうのに要注意。
みるときはディテールを盗む。
先生がやっているのと同じ型をできるときは同時にやってタイミングを盗む。

その先生が心からついていけると思える人物であることの贅沢。
贅沢?
それが贅沢であってはいけないとも思うし、現実には(ことに日本の外では)それは贅沢であるとも思う。



剣道。
リードの先輩に、面の前に切っ先が一旦下がってしまっていることを指摘された。
直そうとするのだが、直しているつもりでも直っていないらしい。
何度も黙ってそのしぐさを見せられる。
結局直らないままにその先輩との地稽古は終わってしまった。

その先輩がこの文章を書いた人物であるだけに、
(2番参照)次回までに直しておかないとこっぱずかしい。
いい緊張感だ。



夢のような週末でございました。
体が疲れて、頭の疲れがふっとぶのが理想の休みだ。

見えないほうが見えること

同僚のお父さんが作っている各種とうがらし、とりたて新鮮、をもらってきた。
刻んで夕食のパスタに入れたら、もう刻んでいる間から咳が出たり鼻の下がひりひりしたり(でもなぜに鼻の下?)して大変だったのだが、もっと問題なのはその後だった。

わたくし、武道のときだけ使い捨てのコンタクトレンズを使っているんですが。
手を洗っても洗っても、コンタクトを入れようとすると目がひどくしみてだめなのだ。
途中で気がついた。
こりゃ手のほうについてるんじゃなくて、目のほうについてるんだ、とうがらしの成分が。

諦めて今日はコンタクトなしで剣道やりました。

やってみたら、案外よかった。
間合いの感覚は少し狂っちゃうんだけどね。
前があまり見えない分、体のどこがどうなっているかの情報がいつもより脳みそに入ってくる。
ひかがみが曲がっちゃってるな、とか。
何回かブラインドのままやってみようかな、と思いました。
悪い癖を直すいい手なんじゃないかと思って。
自分の所属する道場なら、稽古のパターンは把握しているから遠くが見えなくてもさして困らないしね。

それともう一つ、
家の中だともう起きた瞬間にまず眼鏡をかけるというくらいで、裸眼では数歩歩くのも不安な感じがしているのに、不思議と道場で見えないのには平静でいられました。
初めて防具をつけた頃、コンタクトを作る前には、見えないのが不安だった。
なのに今、この感じはなんだろう。
向こうの鏡に映っている自分は、紺色のすそ広がりの染みにしか見えない。
手合わせしたって剣先もぼんやりとしか見えない、それでも平気な感じ。
その理由は今はさっぱりわからないので、首をかしげたまま今日の日記は終わります。

間合いをつめる

クソ暑い火曜日の稽古を乗り切ったら、木曜日は涼しくて体が軽かった。



居合の合宿でK先生がふとつぶやかれていた、
「立派な人の演武を見ても、そのイメージをちゃんと頭に入れてないからダメなんだね」というのが頭に残っていた。



アメリカ人男性が大半の私の剣道の道場では、わたしはおちびさんだ。
おちびさんは間合いがそもそも不利である。
普通に立っていたら、相手の竹刀は自分の面に届くのに自分のは届かない。
スピードがすごくあるとか、技が上手いとかで背の低いことの不利を克服できている剣士が世には沢山いるが、
私はいまのところ気合以外の長所がない。

このところ、背が低いのに強い何人かの人の剣道を観察する機会があった。
すいすいと静かに水面をすべるようにいつの間にか間合いをつめていく。
上体を見ているとちっとも上下しないので、どうやっているのかさっぱりわからない。
足だ。足を見た。
前に出している右足はやっぱりするする床面をすべっているだけみたいに見える。
判るような判らないような感じだったが、今週はこの練習をしてみることにした。

それを試みている間にも、もとに立つ先輩方からは絨毯爆撃のように別の事柄に対する注意が降ってくる。
それを聴きつつも本日の自分の目標を達成するのは決して簡単ではない。
地稽古の順番待ちの間に鏡を見ながらするすると床を滑ってみたりする。
やってみた結果はどうかというと、そんなもの無論2回やそこらの試みで身にはつきません。
つきませんが、とっかかりはできた気がした。
どうも私の動きがいつも先輩方が読んでいるパターンと違ったらしく、
先輩方の受け方がいつもと微妙に違った。
よしよし。しばらくこれ練習しよう。

いつまでも気合だけがとりえの剣道やりたくないからな。

量すなわち質

剣道フォーラムで、上手くなる為に自分に課すべきことはなにか、という質問に対して書かれた返信。
ものすごく真実な上に書き方が面白くて笑ってしまったので。



レシピは実際全く単純です。

1.練習にまじめにでる。
2.先生や先輩に言われることを聴く。つまり、本当に聴く。頷いておいて前と同じことを続けないこと。
3.練習にまじめにでる。
4.一度に一つのことを直すこと。その日の練習について特別のゴールを決める、たとえば「今日は後ろ足が真っ直ぐになるようにする」など。
5.練習にまじめにでる。

1番、3番、5番の事柄を特に注意すること。なぜなら2と4はそれらなしでは意味をなさないから。
稽古に関しては、量すなわち質です。

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剣祐

Author:剣祐
剣の修行中。

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