体をつくる過程を楽しむ

「減量」と「持久力の改善」の目的を発端に始めたランニングが、
むしろランニングのためのランニングになり、
ランニングのための減量、ランニングのための体作りという立ち位置の変化を見せてきた。

一週間毎日、剣道・居合・ランニング・ピラテスのうち二つ運動をする、というルーチンになっている。
居合のある日は膝への配慮でランニングが休み、剣道のない日はピラテス。

ピラテスは、私の友達でやったことのある人のうち半分くらいが「退屈」と言ってすぐ止めてしまっているが、
私は結構楽しく続いている。
今どこの筋肉を鍛えているのかがはっきり感じられて楽しい。
昨日までより動作が正確にできるようになっているのが楽しい。
昨日まで難しかった動作がふっと楽にできているのに時々気がついて楽しい。

という話を友達にしていたら、
「ふうん。でも時間かかるんでしょ。」
へ?
「毎回どのくらいやるの?時間。」
今使ってる上級のDVDは50分だけど。
「やっぱり時間かかるね。」

常にダイエットをしているこの友達は、平日は殆ど食べないという極端なことをしているほかに、
聞けば時々流行る毎日数分でできる簡単な減量法を大抵試しているのだった。
呼吸法を二分ずつ一日数回とか、
棒状のものに数分寝転ぶとか、
どこに何とかを数分巻いておくとか。

「それ面白いの?」
と私は訊く。
全然かみ合っていない。
目的が違うのだからかみ合わなくても仕方ないのだ。
私の場合は(それらの手軽なダイエット法の効果への疑問は置いといても)痩せりゃいいっていう話じゃないのだから。

大体私は、それ自体が面白いことじゃないと続かない。
ランニングだって、そういうわけで、続くかどうか我ながら眉唾だったのだ。
何しろ子供の頃から何より嫌いだったスポーツである。
何か持久系のスポーツをやろうと思ったときに幾らでも費用をかけていい境遇だったら、
多分ランニングは選ばなかったであろう。

それがどういうわけだか面白くなってしまった。

友達とのそんなやり取りがあってから、レースのための体作りの本を読んでいたら、
初心者向けの章にこんなことが書いてあった。

この社会では、エクササイズは欲しい結果を得るための手段として位置づけられている。
エクササイズ用品の製造会社やサービス提供者は、より効果的な手段でいい結果を得られることを売り物にしている。
下地にあるのはエクササイズ自体を楽しむなんてありえないという考え方だ。それゆえにフィットネス用品は、欲しい結果を得るための過程で苦しまねばならない時間を最小に抑えるという宣伝文句で売り出される。
例えばベストセラーの「朝の8分エクササイズ」だとか、「一日数分でオッケー!」というTVショッピングで売られている機械とか。
こういったマーケティングに奨励されて、消費者はエクササイズ自体の喜びを全く考えることなしにエクササイズの種類を選ぶ。こういうマーケティングは人々に運動は単にできるだけ早く通り抜けなければならない苦行であるとすりこみ、だから最小の時間で欲しい結果を得られるエクササイズを選べ、と教えているのである。
一日数分で欲しい結果が出るエクササイズなんてものは、ない。フィットネスモデルの体を彫りだして維持するには毎週、週に何時間もの時間がかかり、そのレベルのコミットメントをエクササイズへの喜びなしに維持するのは殆ど不可能だ。
 市場ではどのエクササイズがどれよりも効果的だと消費者に信じ込ませようとしているが、実際はどのエクササイズも多かれ少なかれ効果がある。続ければ、の話だ。しかしどんなエクササイズであろうと、それをできるだけ早く済ませなければならない苦行だとしか思えなければ続けられる可能性は少ない。


そうそうそうなんだよ、
そういうことだよ私が思っていたのは!

この本には他にも、私のようにランニングなんか一生しないくらいに思い込んでいた人が何かのきっかけで始めたら嵌ってしまった話なんかも載っていて、共感したり笑ったりで楽しく読み進めている。
ただの減量ガイドじゃないところがいいですね。

そんなわけで私は今日も、いてててて、とか言いながら笑ってエクササイズしているわけです。
結果のため以前に、それ自体の楽しみのために。
たまーに鏡を見て筋肉のラインが出てきたな、という喜びは、むしろ、おまけ。

文献: "Racing Weight" by Matt Fitzgerald, Velo press 2009
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剣祐

Author:剣祐
剣の修行中。

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