体を彫り出す

ずいぶん前だが、どこかで読んだchiseled body (彫りだしたような体)という表現が痛く気に入って、私もそう言われるような体を目指そうと心に決めた。

ターミネーター2を劇場で観たときの衝撃は忘れられない。
一作目でまあちょっと可愛い隣のお姉ちゃんだったリンダ・ハミルトンが、二作目までの五年の間にまさに体を彫りだしていたのだった。何あの肩周りと腕、何あの締まった腹。

この9ヶ月ほどで自分もそれを果たしたとまでは言えないが、かなりそれに近いことをしたと思う。特に「肩周りと腕」は鏡の中の自分に見惚れるところまで来た(笑)。惜しむらくは下半身に残る脂肪と、急に痩せたので余った皮膚*。

そこに目をつぶれば、今の私の体はこれまでの人生で一番いい体だ。
成人してから一番体重が少なかったのは渡米したころで、その頃の体重は今より7キロばかり少なかった。その時の体に戻りたいかと問われれば、迷わず否である。全く運動していなかったので筋肉はなかった。極端なダイエットをして痩せて喜んでいたが、今なら想像がつく、何をしていても動きがだらしなかったであろうことが。体が出来てきてみると、人の歩く姿を後ろから見るだけで判るのだ。痩せていても筋肉のない、体の使い方を知らない人の歩く姿は醜い。

昨日、雪で車を出すのが億劫だったこともあって、いつもなら車で行くところに徒歩で行った。走るのと歩くのでは、使う筋肉が面白いほどに違って、新鮮な感じがした。ああ、体が前とは違うな、と思った。腰のあたりと臀部の筋肉が活性化しているのが良く判る。ヨガを始めてから腹筋と大臀筋は見違えて強くなった。腹筋は前から強いと思っていたのだが、ヨガをするようになってからピラテスの難しかった運動が笑っちゃうほど楽になった。(**)ヨガを始めるそもそもの動機だった足の問題がさほど解決していないことなどどうでもいいくらい他のメリットがあった。

そんな風な体の改造中にひとつ気がついたこと。
ウエストがあまり細くならない。
脂肪が残っているのはもう少し下の方なので、ウエストはこのあたりでもう安定だと思う。
以前の私だったら、「ウエスト目標**センチ」という数値にこだわっただろう。
今はわかる。私の体はこういうつくりなのであって、見た目と手触りで「締まっているな」と思うならそこがゴールでいいのだ。数字は判りやすい目安以上のものではない。大事なのは筋肉の機能だ。

今年の目標の一つは、「誰が見てもランナーな体型になる」です。



*日本の人には想像しにくいと思うが、極度の肥満で胃の縮小手術で急激に痩せた人などは本当に皮膚がたるんで、手術でそれを切除する場合がある。

**ピラテスがヨガに劣るという話ではありません。私はピラテスは最初にちょっと大人数のクラスに参加したきり、あとはDVDで独学です。違いは自分をきちんと見てくれるインストラクターの有無。

読み散らかし

今色々お掃除モードに入っていて、もっと片付けるところないかと見回していたらこれが目に付いた。
読みかけ山
しばらく前に書棚を整理したときに、明らかに読み終えないで棚にしまったものと、読み終えたかどうか思い出せない(くらいだから多分読み終えていない)本を取り出した山だ。読まなきゃ、と思って出したわけであるが、その後も新しい本はどんどん増え、読了されて行き、この山はやっぱり殆ど手付かずなのだった。

何冊もの本を家中に分散しておいて読み散らかすというのは私の日常で、この山以外にも書棚の外に出しっぱなしの本は沢山ある。現時点を調査してみました。本のマークがついているのは再読で、日本の旗は日本語の本です。

トイレ
Apollo 13
リチャード三世
不思議なキリスト教
The Chrysanthemum and the Sword

ベッド(文字通りベッドの上、である。)
The Hobbit
In the Country of Last Things
The Burning Land

ベッドサイドテーブル
The Lord of the Rings
SAS survival handbook
The Princes in the Tower
Guns, Germs, and Steel
These Old Shades
Richard III
The Simple Art of Murder

ダイニングテーブル
Lords of the North
Dragon's Lair
2001: A Space Odyssey

さらに携帯電話のキンドルにダウンロードしたうちまだ読みかけのもの
The Last Days of Richard III and the fate of his DNA
The Children of Odin
The Song Celestial (Bhagadad-gita)
Honour and Glory - The Battle for Saxony
Game Theory: A nontechnical introduction

イギリスの歴史書と歴史フィクションが圧倒的に多い。今そういうバイオリズム(?)なのであるな。

上に挙げたのが大体いつも本がある定位置なわけだが、このうちダイニングテーブルとベッドの上に配置された本が大抵さっさと読み終えられて、残りはその位置に昇格しなければいつまでも放置で新入りに先を越されたり、挙句は大掃除の際に「もういいや」と本棚に戻されたりする。
面白いことには、写真の山のようなところに何年も積みっぱなしになっていたものが何かの拍子にベッド昇進することがある。「何かの拍子」というのは大抵、別の本を読んでいるときに「あれ?これあの本に繋がってない?」と気づくときだ。そこからまた別の方向に読書が広がっていくことがある。だから積んでるのも無駄じゃないんです。ほんとです。

あまり物を買う人間ではないが、本(と、チーズと、酒)は割りと後先考えずに買ってしまう。服も靴も化粧品も殆ど買わないのだし、本なんて幾ら買っても高が知れている、と開き直る。「あれを読み終わったらこれを買おう」と思っている本は大体、気がつくと「あれを読み終わ」る前に手元にある。不思議だ。何の魔法だろう。数冊一度に注文したときは、届くと全部あけていっぺんに読み始める。だから山が高さも数も一向に減らないのである。



あ、The Chrysanthemum and the Sword はずっとトイレに置いてあるけれど、正直もう読み終わることは永遠にないと思います。

The Saxon Stories by Barnard Cornwell

実は最新刊を読み終えておらず、まだこの先があるのかどうかも知らない、「剣と盾がぶつかり合ったり馬がいなないたり首が飛んで地面が血まみれになったりする小説」シリーズ。

日本語版は今のところ出ていないようです。ここに紹介があります。(英語)

それまで歴史物はチューダー朝とその前後ばかり読んでいて、アルフレッド大王がデーン勢と戦い、イングランドを統治していく九世紀までさかのぼったのはこのシリーズが初めてだった。この時代の史実には全く明るくないので迷子になりそうだったが、意外な助けが。八百万の神の文化に生まれ育ったせいか、しばしば挿入されるデーン人の信仰する北欧神話が私には馴染みやすかったのだ。
主人公のUhtredはサクソンでありながらデーン人に育てられた戦士で、日常キリスト教のあれこれに少々うんざりしている私がこのクリスチャンではない語り手の「味方」になるのに時間はかからなかった。

Thorやら Odinやらの名前が出てくるたびに調べて北欧神話を少しずつ知っていった。本も入手した。しまいに剣道の胴にThorの槌のお守りをつけた。

この本も音読が楽しい。特にアドレナリン中毒の向きには、闘いの場面が秀逸です。
少し難しいのは古い地名で、Londonが Lundene、 YorkがEofewic という具合なので、オーディオブックの手本がなかったら苦しかったと思う。

このシリーズの三作目のオーディオブックを買ってから、車の中ではたまに斉藤和義のアルバムに切り替える以外殆どずっとこれを聴いている。おかげで自分の英語が英国発音と米国発音の妙な混合物になってきた。ちゃんと使い分けられればいいのだが、混ぜこぜです。増す国籍不明感。



…それにしても変な読書記録だな。

The Giant's House by Elizabeth McCracken

読み終えてぐったりしております。
今日する予定だった雑用を全部ほったらかして、1日これを読んでいた。
強い感情が動いた直後で読書記録を書くべきかどうか迷ったのだが、ひとまずの消化のために書いてしまいます。
あとで変更を加えるかもしれないけれども。

この本の事を知ったのは、吉野朔実さんの「犬は本よりも電信柱が好き」という読書エッセイ漫画(っていえばいいのかな。本の雑誌社出版)で、だった。ほう、とは思ったけれど、すぐに原作を探すほど心惹かれたわけでもなく、そのまま少なくとも数年が過ぎた。

最近またそのエッセイをひっぱりだして読み、内容についてはちょっとしたヒントしかあげられていないのにやっぱりこの本を読もうと思った理由は、そのヒントの中に数年の間にあった個人的な出来事を思わせる事柄があったから、とだけ言っておく。突っ込まないで下さい。

吉野さんは同じシリーズの別のエッセイで、本を読む前にあとがきは読まない、と書いている。そのエッセイには、吉野さんの周りには先にあとがきを読むという人が結構いることが書かれていて、やはり先にあとがきは読まない私はちょっとした衝撃を受けた。先に読まないどころか、本を読み終わってからも読まないことが多い。あとがきなんて数ページなのに、大抵ちょっとだけ読んでイヤになる。だってあとがきって、何でこの人が書いてんの?アナタの意見は別に聞きたくない、というケースが多くありませんか?私が偏屈なんでしょうか。

なのに。アマゾンから届いた原語版の表紙には、サンフランシスコ・クロニクルのレビューが印刷されていた。"to its ******** end" (伏字にしておきます)結末が********だって嫌でも見える表紙に書くなよ!!!吉野さんもあとがきは先に読まないって書いてるじゃん!と、日本語のエッセイを絶対に読んでいない原語版の出版社に言っても意味のない突込みを心の中でする。

…などと余裕な態度でいられたのはページを開くまでであった。
これ以降最後のセンテンスを読み終わるまで、トイレと食事以外殆ど何もせずにどっぷりと主人公の図書館司書、ペギー・コートの人生に嵌ることになる。中盤で少し落ち着いた以外、ほぼ全編泣いていた。丸一日かかった。(*)読み終わって鏡を見たら、まぶたが今より体重が15キロ多かったとき(が、あるのだ、しかも比較的最近)よりも腫れあがっていた。頭も痛い。もう今日はペギー・コートとして一日を終えようと思った。

というわけで、これを書いたら今日はペギー・コートのまま、腫れた目で寝る所存です。

今改めて吉野さんのエッセイを見たら、「あまり恋愛小説が好きじゃない人のための恋愛小説」とある。
ほう。
どういう意味でそう思ったのかな。
私は確かに恋愛小説をあまり読まない。どちらかというと剣と盾がぶつかり合ったり馬がいなないたり首が飛んで地面が血まみれになったりする小説が多い。圧倒的に多い。恋愛小説を読まない理由を人には「恋愛は読むものじゃなくてするものだから」などと言っているが、本当はあまり共感できる経験がないからである。
…そういう意味か?

(*)私は日本語で読むのはものすごく早いが、英語の普通の厚みの本だとどんなに早くてもやはり丸1日はかかる。

**

日本語ではそのままカタカナ表記で「ジャイアンツ・ハウス」エリザベス・マクラッケン著で新潮社から出版されているようです。

音読する - オーディオブックの話、が、いつの間にかRAの話に

いつからか、英語の本を音読するようになった。
大体全ての本を、少しは音読してみる。音読が楽しいタイプの本であれば、続きも大部分は音読する。
音読が楽しいので、音読できない電車には持ち込まない本もある。
電車に乗るときは音読じゃなくてもいい本を選ぶ。

基本的には楽しいからやっているのであって効能ありきではないのだが、
英語の舌慣らしには大いに役立つ。
ことに同じ本をオーディオブックでも持っていると、それを発音のお手本にできるのでお勧めです。

英語の音読が楽しいので日本語でもやってみたのだが、どうも乗らない。
日本語は豊かな言語だし、見た目の美しさは秀でていると私は思うのだが、朗読には向かないリズムなのだろうか、と早々に諦めた。しかし数日前京極夏彦氏がご自身の本を朗読するのを聴いたらいいものだと思ったので、私がヘタなだけなのだろう多分。

オーディオブックを買う場合チェックポイントは
(1)英語の場合、朗読者は英国発音か米国発音か。結構移ります。
(2)省略版か完全版か。数度省略版を買ったら省略してあるところがやはり不自然で気になり、結局本を買って読むことになった。しかしオーディオブックの完全版は値段がずっと高いことが多いので、ここは自分の優先順位によって。
(3)思うにこれが一番重要!声が好きかどうか!日本のは知らないがアメリカのAmazonのオーディオブックコーナーは視聴できます。

私は紙の本が好きなので、長いことオーディオブックには興味がなかった。「車で聴くのにラジオよりいいよ、時間が有効に使えるし」という友達がいても「ふーん」と聞き流していた。
長年の習慣を私が覆すときは大抵何かの下心があるもので、オーディオブックに足を踏み入れた動機は「好きな俳優さんの声がもっと聴きたい」であった。深い、息の混ざった、眠りに落ちるときに耳元で聴いていたい声。ああ。(ため息)
それで彼の朗読しているものを探し始めた。全くの声ありきで、作品二の次である。しかし結果として発見したGeorgette Hayerの作品が面白くて読書範囲が広がったので動機なんか何でもいいじゃないか。たとえ「ラスト・サムライ」が動機でも武道続いてるし!
彼は映画"The Hobbit" のThorin Oakenshield役で一躍有名になってしまったのでもうオーディオブックなんか朗読してくれないだろうなーと思うとちょっと寂しい。今持っている分を大事にしよう。

あ、名前書いてなかった。英国人俳優のRichard Armitageさんです。
顔は私の好みにはちょっとハンサムすぎなのよね。
声が好きなのあくまでも。

(それから実はカメラの外では落ち着きなくその辺のものを手にとってみたりしている姿に非常に親近感を持った。The Hobbit のキャンペーンでIan McKellen, Martin Freeman, Andy Serkis とともに出演したテレビ番組の収録で。テレビ番組の収録見学に応募したのなんか人生で初めてだ。笑)

ええと、音読の話のはずがすっかりリチャードの話に置き換わりましたがそれには気づかぬふりでこの辺で。

A River Runs Through It by Norman Maclean

拾いました。

去年の春までいた職場で、よく本を拾った。一箇所はは外来の待合室、もう一箇所は自分のいたオフィス。双方に「ご自由にどうぞ」コーナーがあって、読まなくなった本をそっと置いてきたり、気になる本があると持ち帰って読んだ。基本的にはまたそこに返却したが、気に入ったものが何冊か手元に残っている。これはそのうちの一冊。

これは迷うことなく、原語での音読が最も楽しい一冊です。流れがとてもいい。作品自体が川だと思う。水面に夕陽をきらきら反射させて静かに流れていく、川。
背景を知らずに読んで、読み終わって深いため息をついてから背景を知って、ああ、そうだったのか、と感銘を新たにした。それも良かったので、物語そのものと背景についてはここには書きません。

この本を読んだといって何度か「映画は観た?」と訊かれたが、映画は観ていません。観る予定もありません。文章が美しすぎて、映画にするのは勿体無いと思う種類の作品です。

**
日本語では「マクリーンの川」として集英社文庫から出版されているようです。
英語が原語の本は、日本ですでに読んでいたものを除いて基本的に英語でしか読んでいません。好きな翻訳者のものを原語と照らし合わせて楽しむことはたまにします。


読書記録始めました…いや、始めます、たぶん。

また本をよく読むようになった。
ブクログのアカウントもしばらく前に作ったのだが、どうも足が向かない。
経堂のどこか裏道にあって、嫌いじゃないんだけれど場所が良く判らないのでなかなか行かないお店、という体だ。

で、こちらに読書カテゴリーつくろうかなとやってきたら、もうあった。
そうですか。

エントリーは2008年から2010年1月で、ここ3年の読書記録はすっぽり抜けている。
さかのぼって全部書く、ことは多分ないと思うが、まあ思いついたらぼちぼちと行きます。

読書感想文はどうも得意ではなくて、それは本を読み終えた後の感想が大体

「おもしろかった~~~!!これ好き!」
または
「そうでもない…」

に尽きることが多いというのが一因だ。頭悪い。色々分析しないし、できない。
夏休みの宿題の読書感想文も、本自体はもうクラス全員分の感想文が書けるくらい読んでいるのだが、さっぱりだめなのだ。高校のとき提出した夏目漱石の何かの感想文は教師にクラスの前で読み上げられ、「お前は文は上手い。しかしこれは感想文ではない」と言われた。褒められたのかくさされたのか判らない。多分両方だろう。

今また本について書いてみようかなと思い立ったのは、
読み返している吉野朔実さんの読書エッセイ漫画シリーズが面白いのと、
それから
このところずっと音読をしていて、音読したときの感想は黙読のそれとは少し違ったりするからだ。
音読した場合について言及している読書エッセイとかあとがきにはあまりお目にかからない。
それで、たまに言及してあるものがあると嬉しくなる。

そんなわけでぼちぼち行きます。
また続かない気も大いにするけど。
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剣祐

Author:剣祐
剣の修行中。

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